ししおどしの音なし日記

旅行のことや体験について

浪人の話

こんにちは

 

今日は浪人と山のちょっとした関係のエピソードトークをします。途中で支離滅裂になってますが、どうか最後までお付き合い願います。

 

 

私は2021年6月現在、京都の大学の一回生をやってますが、去年は丸一年浪人生活を送っていました。高三まで塾に通ったことがなく、特定大模試しか受けずに突っ込んだら案の定玉砕し、一年間予備校に通うことになりました。

 

 

今は第一志望だった大学に一浪の末合格することができ、浪人したかいがあったと思っていますし、親にも感謝しているつもりですが、浪人当時の自分は惨めな自分に嫌気がさしたことが何度かあり、精神的にとてもつらい生活を送っていました。

 

 

自分は他人と話すこともあまりなく、予備校では孤独を貫いていたので、ストレスを他人に打ち明けて適度に発散することができず、このままでは大学に合格しないのではと考えてしまった時期も何度かありました。

 

 

おそらく、自分が浪人時に経験した精神的な負担は浪人を経験されている方なら誰でも味わったことのある感情かと思いますが、自分の場合、高三の夏まで部活で野山を駆け巡っていたので、浪人生活の中盤くらいでいい加減早くこの生活から抜け出して、また山に登に行きたいと、強く願っていましたし、山に行く架空のプランを立てて、現実逃避をしていました。

 

 

山を登りに行っていたとき、受験のことなんて一つも考えたことなかったのに、勉強しているときは無性に山のことを考えてしまう。

 

 

私のワンゲル部の同級生は自分を含めて、ほとんど浪人しました。浪人はするべきではないことは確かだが、先生たちは上の大学を受けることに絶対反対しないし、浪人してでもいけといいました。自分でも、何の違和感もなく自分の生きたい大学への信念は曲げなかったし、友人たちも平気で浪人してでも行く道を選びました。

 

 

同じワンゲル部の先輩がインターハイに出場し、3年生の演劇の助監督をして、現役で京都大学に合格しました。

 

 

自分もその先輩に憧れて、次の年、インターハイを目指して頑張ったが惜しくも出場できず、3年劇のキャストを任されたが、結局京大は現役では受からなかった。

 

 

そのようなこともあって、浪人が決まったときはすごく落ち込みました。

 

 

 

浪人とは古代においては戸籍に登録された地を離れ、他国を流浪するもののことを意味したようです。現在の日本では、過年度生のことを指しますが。

 

 

浪人をさす対象は明確に異なっていますが、両者の浪人には重なる心情が少なからずあると思います。

 

所属するもののない宙ぶらりんの状態、そこからうまれる空疎な感情

 

自分を見つめ直すきっかけになったという人もいますし、浪人を経験して勉強に真剣に向き合うことができて、結果的によかった、人として成長できたと思うと語る人がいますが、私はできることなら浪人は経験したくなかったです。

 

 

浪人時は何にも属していない恐怖にさいなまれます。

あの空虚な感情をもう二度と味わいたくないです。

 

 

山のことを空想することで、失われた魂を少しでも取り戻そうとしていたのかもしれないなあと今になって思いますね。

 

終わり